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レジェンド・インタビュー 1

スーパー女子マネージャー:熊丸広美さん 2

イーグル創世記の「卑弥呼(笑)」クマさんのことは、HPにどうしても残しておきたかった。本人に書いてくれるよう懇願したのだが進捗せず、ならば、昔取った衣笠、インタビューしてみようということになった。熊丸さんは70年入学、筆者の1学年先輩である。(小島宣明/71年入学)

71年10月 秦野合宿でボールを抱えて… 隣は先輩マネージャー丹保康子さん

71年10月 秦野合宿でボールを抱えて… 隣は先輩マネージャー丹保康子さん

そもそも、女子学院に通って、バイオリンまで習っていたお嬢様がサッカーに洗脳されてしまったきっかけから教えてください

「あ、私お嬢様なんかじゃないからね。父は普通のサラリーマンだし… さてさて、サッカーにハマったのは67年メキシコ五輪予選の日韓戦からです。あの3:3の試合、前半2:0でリードしてたのに追いつかれ3:3、韓国のシュートがバーをかすめたときのほっとした気持ち、ベトナム戦で脱臼した腕を固めて左サイド走った杉山さんも忘れられない。で、こんな素晴らしいものを見逃す手はない、と思って全日本が練習している検見川に行ったの。今だったら練習見るのだってタイヘンでしょ。でも、その頃はマスコミなんて来てない、ファンも来てない、来てるのは私だけ。そしたら、松本育夫さんがね、当時新人だった湯口栄蔵さんに“おい栄蔵、お前のファンだってさ”て、ムチャぶりしたらしく、湯口さんが“こんにちは”って… 別に、その頃は誰かに興味があるというわけじゃなかったので、“はい、こんにちは”それだけだよ。でもいちおう初期はそんな事情からヤンマーのファンになりました」

しかし、いきなり全日本ですかぁ

「だって、ほかに伝手がなかったんだもん。で、練習の中身とかいろいろメモしながら見てたら、監督だった長沼健さんが“何してるんですか?”って声をかけてくれた。そりゃそうだよね、女の子がたった一人で来て、サインほしがるわけでもなし、じーっと練習見てるなんて不思議に思われてもしょうがない」

実は、韓国のスパイだと思われたんじゃないの?

「そんなことないでしょ、あの頃は諜報戦なんてなかったと思う。でもその時、長沼さん“困ったことがあったら、何でも言ってらっしゃい”って言ってくれたの。後年、合宿できる施設が見つからなくて困ったとき相談したら、すぐ読売ランドを紹介してくれた。全日本の監督が愛好会の合宿所探ししてくれるんだもんね(ほぼ半世紀前の記憶なので違っているかも)、ホントいい人。お葬式行ったときは泣けて泣けて… 長沼さんのような人、サッカーにすべての情熱をささげ誰にでも同じように接してくれた人はもういない」

で、受験ですが上智大学を選んだ理由、スペイン語学科を選んだ理由は?

「本音は大学なんて行きたくなかったの。でも周りもみんな受験するわけだし、それに大学に入ってサッカーに関係してみたいっていう気持もあったのかな。あったと思う。英語は限界感じてたし、だったら世界中の人としゃべれる言葉がいいと思って、イスパニア語学科に○をつけました。あ、独文科も受けたんだけどね、落ちちゃった。神様がスペイン語を選んでくれたのかもしれない」

そして、当然の如くサッカー部の門を叩いたわけですよね?

「そう、『マネージャーしたいんですけど、できればボールも蹴りたいんです』って関東大学リーグ2部だったサッカー部に申し込みに行きました。そしたら、まず外国語学部は授業がキビしいから無理だろうって… ボール蹴ることに至っては『ありえません』とケンもホロロ。でもね、その日たまたまイーグルも練習していたの。じゃ、こっちだってキャプテンの中村由紀夫さんに『なんでもやりますから、ボール蹴らしてください』ってお願いした。返事は『一日考えさせてください』でした。ドキドキしながら翌日トンネルをくぐり、階段を下りていきました。返事は『マネージャーとしての仕事を全部きちんとやってくれるなら、ボールを蹴ってもいいです』でした。嬉しかったなあ」

いよいよ、イーグル中心のキャンパスライフが始まりました

「なにしろウチは千葉のど田舎、鎌ヶ谷ですからね。駅まで15分、そこからバスで船橋に出て国鉄・総武線で四谷まで。5時15分に家を出るのです。母は『いったい何を始めたんだ』って訝しがるし、授業も厳しかったからタイヘンだった。でも、サッカーができるって喜びと、マネージャーの仕事を『全部きちんとやる』と約束した責任感とが18歳の私を動かしていたのでしょうね。7時10分には女子更衣室に着いて99番のユニフォームに着替え、アップ、インサイドキック、シュート練習、何もやったことない私に皆、懇切丁寧に教えてくれました。 で、朝練が終わって教室に行くとギリギリだから、いつも一番前の特等席。汗びっしょりの私にデイェス教授が『クママルさん、またサッカーですか? サッカーとスペイン語とどっちが大切なんですか?』って皮肉っぽく言うんだよ。だから、負けちゃいけないと思って勉強も一生懸命やった。ディエスさんって自分もサッカー好きなのに、女の子がサッカー好きなのが許せなかったらしい。学園祭のミニゲームに出たらすねを削られた。本気で怒ってたんだろうね。確かに当時、スペインのスタジアムに女性の観客なんていなかった。今でこそ増えたけど」

74年6月 OB戦、1年生の頃のメンバーと肩を並べるクマさん

74年6月 OB戦、1年生の頃のメンバーと肩を並べるクマさん

全日本・山口良忠選手と個人的に会ったとか?

「まじめに忠実なプレーをするヤマさんの大ファンでした。一回だけですけどね、銀座でデート(笑)。恋愛の対象にはならなかったみたいです。イーグルのみんなとは対等でいたいから、ちゃんとマネージャーをしたかったから、そういう関係にはならないつもりだった、当時は」

クラマーさんのコーチングスクールにも参加したとか?

「あれはね、盗講っていったほうがいいでしょうね。検見川だったから… 例によって女性なんて周りにいない。長沼さんたちと話してたから関係者扱いしてくれたんじゃないかしら。スペイン人のコーチだったら、お役に立てたかもしれないけれど。でも勉強になりましたよ。ほかに応急措置のスクールも行った。いつ、怪我があるかわからないし… とにかくチームの役に立つことは何でも覚えようと思っていました」

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